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日本腎臓学会研修施設
日本透析医学会認定医制度教育関連施設
京都市の西北側(JR山陰線円町駅から徒歩5分)に位置する本院の腎臓内科は、市内を横断する丸太町通りを中心としたエリアのおおよそ西半分をその診療圏としています。
腎疾患の急性期から腎不全期までを総合的に診療できる病院は本院しかないため、京都民医連内の病院・診療所はもちろんのこと、地域の開業医からの紹介や京大病院や府立医大病院からの紹介も積極的に受け入れています。
本院では、腎臓内科は腎疾患診療だけではなく、血液透析を中心とした血液浄化療法全般を担い、ICUに準ずる病棟での急性血液浄化療法も担当しています。腹膜透析(CAPDが主)も行っています。
また、糖尿病が透析導入の原因疾患の第一となっている現状に立って、糖尿病診療にも関与しています。腎臓が反応の中心臓器となる膠原病や血管炎などの疾患にも従事しています。
本院病理科は電子顕微鏡を有しており、光顕標本から蛍光抗体、電顕標本まですべての標本作製を院内で実施し、組織診断までを一貫して行い、腎生検診断は腎臓内科医が担当しています。毎月1回、腎生検カンファレンスを腎臓内科医、病理医、臨床検査技師の参加で開催しています。
なお、当院の透析診療は前身の右京病院時代の1970年から始めています。開設当初から府立医大で始められた腎移植治療に積極的に関わり、移植患者の紹介ばかりでなく、移植後透析再導入例も受け入れています。
学会の研修プログラムをきちんと踏まえて行うことは勿論として、いちばん強調しておきたいことは、受身の研修ではなく、少しでも日々の診療内容が向上するように、新しい診療技術の導入とその育成を一緒に力を合わせて作っていく能動的な研修でありたいということ。私たちは現状の水準に満足はしておらず、そのために診療技術の向上と新しい技術の導入に積極的に取り組んでいる。
私たちの考える腎臓内科のイメージあるいはあり方を列挙してみる。
1年目
入院症例を担当することによって、腎疾患診療の基本を学習する。20例以上。 腎炎、ネフローゼの基本的な治療を習得する。 指導医の元に透析を1単位受け持ち、外来透析管理の基本を学ぶ。 穿刺技術については1年でおおむね習得する。 透析用カテーテルの挿入技術も習得する。 いくつかの腎透析関連の手術や検査に立会い、基本的事項について学習する。 症例報告を1題は行う。
2年目
重症例や緊急透析導入を受け持ち、主治医として基本的な対応ができるようになる。 腎生検については助手ができるようになる。 指導医の下に外来を1単位担当する。主に受け持ち入院症例を中心に行う。 透析単位を指導医なしで受け持つ。管理医師は別にある。 シャント手術に助手として入る。10例以上。 症例報告を日本腎臓学会西部部会あるいは透析医学会に1題は行う。 患者教育を講師として行う。
3年目
1年目を指導しながら透析単位を受け持ち、主治医としての役割を担う。 腎臓外来を1単位受け持つ。初診患者や紹介患者の初診対応を行う。 腎生検については術者として生検を行う。 希望者はシャント手術の術者の経験を積む。 シャントPTAについても術者あるいは助手として経験する。 患者教育およびスタッフ教育を講師として行う。
カンファレンスなど
腎臓内科医(透析診療にも従事) 5名
(この外 常勤泌尿器科専門医1名)
腎臓外来(3名で担当) 週5単位(夜診1単位)
透析室(別館2階) 透析台数40台。患者数130名前後。
夜間透析も週日施行。
透析室看護師 21名 臨床工学技師 9名
ICU透析 透析台数3台。
血液浄化治療の内容:HD、HDF、CHDF、PE(DFPP)、PMX、LDLアフェーレシス、GCAP、LCAP
年間透析導入数
04年32人 05年25人 06年18人
07年19人 08年20人 09年24人
年間腎生検数
04年18件 05年7件 06年20件
07年25件 08年22件 09年19件
京都民医連では、腎透析医療は中央病院のほかに、京都の東に位置する京都民医連第二中央病院と鴨川沿いにある川端診療所の二つの施設でも行われている。
〈第二中央病院〉 透析台数 10台
〈川端診療所〉 透析台数 35台
オンラインHDFも実施している。
京都民医連中央病院
腎透析科科長 木下 千春 (1996年 島根大学卒)
総合内科科長 神田 千秋 (1973年 京都大学卒)
集中治療科科長 井上 賀元 (2001年 滋賀医科大学卒)
神田 陽子 (2000年 信州大学卒)
京都民医連第二中央病院
武下 清隆 (1986年 府立医科大学卒)
武田 英希 (2004年 京都大学卒)
川端診療所
所長 田中 義浩 (1994年 関西医科大学卒)
非常勤
小西 憲子 (1966年 京都大学卒)